楽して何が悪いの?毎日の食事作りを苦痛にしている考えを捨てよう!

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楽して何が悪いの?毎日の食事作りを苦痛にしている考えを捨てよう!


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毎日の食事作りは多ければ1日3回のこと。一年中休みはありません。作るのもそうですが献立を考えるのも時には面倒臭く、苦痛にすら感じてしまうことはありませんか?

でも毎日ずっと続いていくことなので、もっと楽をしていいと思うんです。今日は作る側も作ってもらう側も食事作りを苦痛にしている考え方を手放そうよという提案です。

品数多いのが基本という考え

一汁三菜、和食のスタンダードという感じですね。でも実際のところは、料理の写真をネットに載せている人の画像を見ると三菜以上のことがよくあります。私も実家ではそうでした。五菜くらい?

様々な種類のおかずが食べられる和食のメニューは楽しいし、見た目も色鮮やかで美しいです。海外在住の今となっては特に、時々食べると何とも言えない幸せな気持ちになるものだということは否定しません。

でも毎日の食事で本当にこんなに必要でしょうか?

料理研究家の土井善晴さんは「一汁一菜」を提唱しています。特別な日(ハレ)の食事と普通の日(ケ)の食事は別物で、毎日の食事はケなのだから、一汁一菜でいいじゃないかと。

過剰な「手作り」信仰

手作りの食事、確かにほっとするし、母や祖母の味は今でも懐かしいです。でも「手作り」に対してのイメージや正義が過剰じゃないですか?

何度も言いますが、食事作りは毎日のこと。ご飯だけ作るロボットじゃないんだから、ほかのことが忙しかったり、疲れてたり、気分が落ち込んでいたり。いつもいつも手作りなんてしてられないです。作りたくないと思う日だってあります。

手作りだけに異常に価値を置くのではなくて、ほか(テイクアウト、外食、インスタント)とは別の良さがある並列のものと考えてはどうでしょう。

例えば、外食は高いけど特別感があってよい、インスタントは少し体に悪いかもしれないけれどすぐできて楽ちん、手作りは手間がかかるけれどほっとする。という感じで。

あまり神経質にならないで「まあそんな日があってもいいよね」と肩の力を抜いていいんじゃないでしょうか。

栄養バランスは一日3食の中、または1週間全体でつじつま合わせができればいいんじゃないかなあ。

食べる側の期待と反応

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家庭内では(主に女性が)手作りの食事を準備することが当たり前になりすぎて、感謝が忘れられていませんか。

「ありがとう」がないのも問題ですが、それだけならともかく「これだけ?」「またこれ?」「なんだ惣菜か」なんてことを言う人すらいます(例はうちの父)。

毎日手作りの必要があるとは私は思いませんが、もし手作りで品数の多い食事が食べたいのだとしたら、そんな反応でもっと手作り頑張ろうと思うでしょうか?

反応間違っているでしょう!

食事作りとジェンダーをなるべく切り離したいと思うのですが、この項目だけはジェンダーについても少し触れておきたいと思います。もちろん家庭によって違うとは思いますが、まだまだ女性が家庭で食事を作るのが主流なのは変わっていないので。

夫婦はフラットなはずなのに、なぜそこに上下関係みたいなものがぼやっと存在するのか。これが、絶対あり得ないですが父が作ったと想像すると、母は感謝し申し訳ないとすら感じるでしょう。

何この主従関係みたいなもの。

もし料理しない日があったとしても、嫌々作ることでのギスギス感がなくて、家族全体が幸せになれると考えられないでしょうか。

苦痛に感じながらも作る人(女性)の気持ちを無視して、手作りの料理を食べることの方が家族にとっていいことですか?

上の3つによる固定概念とか外からのプレッシャー

種類を作らなければ、手作りでなければという固定概念、毎日の大変な食事作りなのに感謝もされないというモチベーションをあげるのが難しい状況に加えて、最近ではSNSの影響もある気がします。

私はちょっと前にインスタグラムを始めたのですが、皆さん品数も豊富で盛り付けも美しい食事の写真をアップしているんですよ。

それを見て自分もそうしなければいけないかのようなプレッシャーと、自分にはできないという挫折感を味わうんです。

でも毎日何品も作るのが好きという人は楽しめばいいですけど、特にそうでもない人が同じようにしないことに罪悪感や劣等感を持つ必要はありませんよ。

上で紹介した土井さんの本のアマゾンのレビューには「料理をする事について、肩の荷が下りました。」という声が寄せられていました。

毎日事実上半ば強制的なのに、高い基準に合わせなければと肩の荷が重く感じるのであれば、それは食事作りが苦痛になるのも無理はないですよね。

作る側、作ってもらう側、両方で食事を考え直してみよう

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偉そうなことを書きましたが、私自身も「おかずを何品も作らなくては」「手作りでなくては」という思い込みがなかなか抜けませんでした。

文化的背景の違いからか、こういう日本でよくあるイメージを持たない夫は、私の考えを変えてくれました。

「ごめん、今日はこれだけ」と謝っていた頃は、何度も「そうじゃないでしょ。今日は○○だよ、でしょ。言ってごらん」と言い直しをさせられました(笑)

買ってきて並べただけでもありがとうを言ってくれるし、品数が少なくても気にしないです。その点夫にはとても感謝しています。

夫は料理があまり上手ではないので、我が家も女性が料理準備するという構造は変わらないのですが。

我が家のように、食べる側が気にしていなくても作る側が思い込んでいる場合もありますし、逆に、作る側だけが一汁一菜やテイクアウトで良いと思っていても、作ってもらう側がそんなのダメだと思っていたら、うまく回りません。

作る側、作ってもらう側両方の考えが一致して初めて、毎日の食事の準備のストレスが減るのです。

おわりに

今や我が家の日常的な夕食は、メイン+炭水化物(ご飯・麺類・ポテトピュレ、パンなど)が基本で、余裕があればサラダなどのサイドディッシュという変形一汁一菜スタイルに落ち着いています。

もちろん、毎日作るわけではなくてテイクアウトの日もあれば、残り物だけの日もあります。

日々の食事はできるだけ楽をして、クリスマス・年末年始などのイベントには、少しだけ特別な料理を作るのが私の楽しみとなっています。

毎日のことなんだから、普段の食事作りはもっと楽したっていいじゃないですか!作る側も作ってもらう側も思い込みを捨てましょうよ。

作ってもらう人は「これだけ?」なんて口が裂けても言わないで感謝とリスペクト。「ありがとう」ですよ!

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました♪

下記が私が作るメインの一例。

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