「日本人なら優しくしてあげる」と言われても嬉しくなんかない
夏の間滞在していたパリでのことです。とても暑い日だったので、ある個人経営の食料品店にジェラート目当てで入りました。
店員さんと娘のことで会話が弾み、こんなやり取りがありました。
夫:「三か国語育児なんですよ。」
店:「フランス語と○○語(日本じゃないアジア言語)と、あとは何?」
夫:「フランス語、日本語、英語ですよ。」
私が日本人と知ったところで、そのオーナーの態度が急に変わって優しくなったんです。その出来事から思い出したことについて、今日は書いてみたいと思います。
これが初めてではない
私はイギリスのスーパーで、「○○人(某アジアの国)?」と聞かれ日本人と答えると「なら袋詰めを手伝ってあげる」と言われたことが過去にありました。
夫は日本でタクシーに乗り込む前に、「○○人(欧米の某国)?」と運転手さんに聞かれ、フランス人だと答えると「○○人は乗せたくないんだよね!フランスならよかった!」と言われた経験があるそうです。
こういうことを言ってくる方は大体、こちらが当初思っていた国の人でないと分かると、ものすごく機嫌よく話してくるんです。
こっちは全くそんな気持ちになれず、もやもやしているというのに!
もやもやの正体
相手が嫌いな対象ではないからといって、自分は差別する人間だということをニコニコしながら言ってしまうことに強い違和感を覚えます。
いや、こういう方たちはこの発言が差別だということに気が付いていないのかもしれません。優しくしてあげると言っているのに何が問題なのかと言われそうです。
他人の考えを変えたりコントロールすることはできません。だから誰かが特定のグループの人を嫌いだとしても、その好みに対してとやかく言うことはできないと私は思っています。
できれば差別的考えは持っていてほしくはないですけどね。
でもその考えを誰かに言うのはまた別で、状況・相手・伝え方などに細心の注意を払うべきではないでしょうか。
それなのに「あなたはそうじゃないからOK」と堂々と、全くの他人に、しかもサービス業の仕事中にお客さんに言ってしまうバランス感覚や配慮のなさ。
そんなことに私はもやもやしたんだと思います。
「○○人」という区別って……
そもそも彼らが知りたがっている「○○人」というのは何を差しているのでしょう?
人種、民族、国籍……?、考えれば考えるほど、訳が分からなくなってしまいました。
複数の人種的・民族的背景や国籍を持つ人はいくらでもいます。「○○人」とAかBかで区別できるものではありません。
それだけあいまいなものを差して、この人たちは好きだとか嫌いだとか言っているのです。
日本の某CMに出演する女性のことがちょっと前に話題になってましたね。そういうニュースを読むたびに悲しくなります。
おわりに
ちなみに冒頭でお話した食料品店の女性はポルトガル系で、純粋に日本に関心があって日本人と話せるのが嬉しかっただけみたいです。
日本に来た宣教師の話(ザビエルではないらしい)や、本当かどうか怪しいですが日本語の「ありがとう」はポルトガル語の「オブリガード(ありがとうの意味)」からきているとか、日本とポルトガル関連の知識がとても豊富な方でした。
また上に書いたような方かと思って、一瞬構えてしまいました。店員さんごめんなさい。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました♪
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